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尼崎文化協会は、尼崎の文化の向上発展をめざす団体です。
その目的を達成するため、文化一般に関する研究・調査を行ない、
また、その発展に資する、さまざまな事業に取り組んでいます。
私たちと一緒に、尼崎の文化にふれ、学び、親しんでみませんか?

尼崎市立歴史博物館所蔵「尼崎城下風景図」

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尼崎文化協会について

尼崎文化協会会長 和田桐山

尼崎文化協会は、昭和22年(1947)に設立されました。尼崎の歴史を語る会に始まり、様々な文化について関わってまいり、令和元年(2019)には150年ぶりに尼崎城が再興され、他市に誇れる文化資産が出来ました。他地域及び市内他団体との交流も含め、新しい尼崎の文化の発展に寄与したいと考えております。

尼崎文化協会について

講演会企画実施結果

「尼崎藩青山氏と尼崎城を語る-時代小説、まちづくり、歴史研究-」
と「大正琴の音色を聴きながら茶道を愉しむ」

とき  令和6年(2024)10月19日 土曜日 正午から開場

ところ 尼崎市中小企業センター1階ホール

講演・シンポジウム 13:30~15:30

​ 講師   谷口雅美さん(作家)「青山幸利公 物語世界を牽引するキャラクターとは」

      河野未央さん(武庫川女子大学准教授、近世史)「尼崎藩研究の可能性

      ―近年の研究成果の紹介を中心に―」 

 パネラー 和田桐山(尼崎文化協会会長)

茶道体験  12:30~13:30 15:40~16:30

参加料   1,000円 お茶とお菓子代を含む

​参加者   124人(スタッフ、開催協力ボランティアを合わせた合計人数150人)

主催(共催)尼崎文化協会 公益財団法人兵庫県芸術文化協会

               兵庫県地域文化団体協議会 阪神南文化振興団体連絡協議会

後援    尼崎市 尼崎市教育委員会 尼信地域振興財団

講師のプロフィール 

 谷口雅美さん 作家

 シナリオセンター大阪校所属/日本放送作家協会会員/日本YA作家クラブ会員

 第44回創作ラジオドラマ大賞 佳作入選 第58回講談社児童文学新人賞 佳作入選

 短編小説集「99のなみだ」で小説デビュー。ショートショート、短編を得意と

 するが最近は長編も執筆。

 ジャンルは一般文芸、児童書、時代小説、ノンフィクションなど。

 著書 『殿、恐れながらブラックでござる』講談社文庫 2021

    『殿、恐れながらリモートでござる』講談社文庫 2022

    『わたしのカレーな夏休み』講談社 2024 ほか多数

 河野未央(こうのみお)さん 歴史研究者

 武庫川女子大学文学部准教授/認証アーキビスト

 近世兵庫津(現兵庫県神戸市兵庫区)の都市運営、海上交通役をめぐって形成さ

 れた大阪湾沿海地域の地域畿内・近国地域における尼崎藩主の位置づけといった

 テーマで、主に阪神間をフィールドとした近世地域史研究を行う。

 大規模自然災害からの歴史資料保全について実践報告のほか、地域史料の活用手

 法について実践報告のほか、地域の文書館あるいは専門職(アーキビスト)のあ

 り方について研究。

 著作 『水損史料を救う―史料ネットによる風水害からの歴史資料保全ー』

     共編著 岩田書院 2009

    「尼崎藩時代における青山家の事績と「青大録」」 尼崎市立地域研究史料

         館紀要『地域史研究』119号 2019

    「認証アーキビスト制度「活用」に向けて」記録管理学会『記録と史料』

         32号 2022

         ほか論文多数

 

来賓 衆議院議員 中野洋昌様

   市議会議員 北村保子様 佐野剛志様 鷲田真緒様

   青山家ご当主 青山幸文(ゆきふみ)様 アヤ子様

祝賀メッセージ  尼崎市長 松本眞様  兵庫県議会議員 黒川治様

 

〔講演・シンポジウムの概略〕

谷口雅美さん「青山幸利公 物語世界を牽引するキャラクターとは」

「ものかき」をもって自認する谷口さんは、尼崎に住み尼崎愛に目覚め、あまがさきアーカイブズの河野未央さんとの出会いから尼崎藩に惹かれていきます。青山幸利(よしとし)の事績を記す「青大録」の現代語訳に挑戦し、そこから『殿、恐れながらブラックでござる』『殿、恐れながらリモートでござる』といった時代小説を執筆するに至った経緯をご紹介いただきました。

「時代小説と歴史小説の違いをご存じですか?」と会場に問いかける谷口さん。歴史上の事件や人物を史実の流れに沿って描くのが歴史小説。さしずめ司馬遼太郎はその代表格。対して歴史を背景にフィクションの人物が登場し、作者自身の世界を描いていくのが時代小説。谷口さんは時代小説作家として、尼崎藩やこれにまつわる人物を描きながら、自身が創り出した歴史の世界をつむぎます。

それでも、河野さんのような歴史研究者・アーキビストの研究に学び、文献を調べてリアリティとフィクションのバランスを取りながら書くのが谷口さん流とのこと。今後のさらなるお仕事が楽しみです。

 

河野未央さん「尼崎藩研究の可能性―近年の研究成果の紹介を中心に―」

 尼崎市立歴史博物館のあまがさきアーカイブズで尼崎藩研究に携わり、現在は武庫川女子大学で教鞭ととられる河野さん。戸田・青山・松平と三家が務めた藩主のなかでも、とくに青山氏初代の幸成(よしなり)と二代目幸利に注目し、その事績についてご講演いただきました。

 ときの将軍秀忠に近く、秀忠が重視した大坂城普請において重要な役割を果たした幸成は、当代一流の茶人であった小堀遠州の茶席に「正客(しょうきゃく)」として招かれる重要人物でした。

 そんな幸成から幸利へと続く尼崎藩青山氏が、徳川家にとって重要な大坂城守衛の役割を果たしたこと、青山家そのものが戦国余風を受け継ぐ「武」の家風であったことなどが、「青大録」や「青山家御由緒書」といった史料から読み解くことができるのだそうです。

 講演の最後には、さらに研究を進め本にまとめたいという抱負も述べられました。尼崎藩研究の新たな境地を開くものになることが期待されますね。

 

 講師のおふたりに和田桐山会長をまじえたシンポジウムでは、まず和田会長から、青山氏の菩提をまつる神戸市大倉山の安養寺の話題や、幸利が墓標として石塔を建てのちには尼崎藩松平氏もまた燈篭を寄進し崇敬した楠木正成をまつる湊川神社のこと、幸利が好んだというそばのエピソードなどを紹介。

 続いて会場からは、「青山家歴代のだれが一番好きですか?」「江戸時代にコストがかかり負担が大きい藩の転封がくりかえされたのはなぜ?」といった質問が寄せられ、講師のおふたりがていねいに回答。また、東京からご足労いただいた青山家ご当主の幸文様の感想を聞きたいという声があり、これにこたえて幸文様からは南北朝時代までさかのぼる青山家の系譜(初代師重(もろしげ)は上野国青山郷に住し後醍醐天皇の孫・尹良(ゆきよし)親王に仕えた)をご披露いただきました。

こういったディスカッションを受けて、最後に和田会長が、尼崎文化協会として、楠木正成・湊川神社との関わりなど今後さらに青山氏・尼崎藩研究を続けていくとして、シンポジウムをしめくくりました。

当会の活動

令和6年度事業計画

1.基本方針
(1) 創立以来75年に及ぶ当協会の歴史と業績をふまえ、文化活動に対する会員自らの知見を高めると共に、会員相互の親睦を深める。

(2) かねてから当協会と関係の深い尼崎市、阪神文化振興団体連絡協議会、尼崎商工会議所(文化・サービス部会)、市内文化諸団体などとの連携を図りながら、さらに有効な文化活動を推進する。

2.具体的事業

(1) 当協会と関係があり歴史と由緒のある桜井神社、貴布禰神社や、近松文化(近松記念館、広済寺)、尼崎薪能、契沖の会などの古文化の奉賛ならびに郷土伝統芸能の継承保存に努める。 
(2) 文化や美術に関する展示会、お茶会などのほか、近隣史跡の見学会、関係する神社参拝、講演会などを適宜開催する。
(3) 協働団体である「 契沖の会」及び「尼崎叙勲者清風会」との連携を図る。  
(4) 平成30年以降の継続事業として、近世尼崎藩に於ける戸田氏鉄公につづく藩主青山諸公(4代76年間)及び櫻井松平諸公(7代158年間)の事績について、研究学習する。 
(5) 尼崎文化協会の活動、情報を発信するため、ホームページ等を充実する。
(6) 見学会もしくは初詣。
(7) 令和6年度に「尼崎藩・尼崎城をテーマとする講演会と茶道体験」(案)で阪神南県民センターと共同事業を実施予定。令和6年10月19日(土)13時より中小企業センター1階大ホールで開催予定。

(8) 創立80周年(令和9年〈2027年〉)記念事業の検討。
(9) 当協会会員の増強を図るとともに、さらに組織の充実と財政基盤の確立に努める。

                                              以上

当会の活動

尼崎の歴史と文化財

戸田氏鉄顕彰碑.jpg

〔解 説〕

尼崎城は大阪城の西の守りとして、徳川家譜代の戸田左門氏鉄(うじかね)が築城したもので、尼崎藩初代城主となりました。戸田氏の功績はこれだけではなく、むしろその後に神崎川の支流の幅を広げる改修工事によって洪水の被害を減らしたことの方がより大きく、戸田左門氏鉄の名に因み左門殿川(さもんどがわ)として市民に親しまれております。この碑は尼崎城再興工事完成の前年に建立しました。戸田家は岐阜大垣の地で明治維新を迎えられ、その後維新政府の命で東京に移られていますが、大垣市各団体とも今後交流を進めたいと思っています。

大覚寺聖天堂.jpg

〔解 説〕

尼崎藩二代目、青山藩初代・青山幸成(よしなり)候は徳川幕府老中として活躍され、江戸・青山家下屋敷は広大な敷地を幕府より与えられました。
尼崎青山家の家紋は"無紋銭"と共に大覚寺の寺紋"葉菊紋"をお使いになったと伝えられています。新城築城により大覚寺は現在の寺町に移り「尼崎藩御祈祷所」を命ぜられ、藩主・藩領などの安寧豊楽(ぶらく)を祈願しました。
この時に建てられたお堂が現在大覚寺境内に残っています。これが"聖天堂"です。現在の建物は青山公の南蛮造りを念頭に於き、昭和27年、渋谷五郎氏設計により再建されました。
〔参考文献〕 

 渋谷五郎・長尾勝馬共著「日本建築上・下」

 学芸出版
大覚寺住職 岡本元興氏記

博愛の碑.jpg

〔解 説〕

尼崎藩松平家七代目にして最後の藩主である忠興(ただおき)は、明治維新後本貫(ほんがん)の地である三河国桜井の地名をとって櫻井氏と改姓し、大神(おおみわ)神社(奈良県)の神官を務めました。明治10年(1877)、西南戦争の惨状を知った忠興は神職を辞して上京し、日本赤十字社の前身である博愛社の創設に尽力したばかりでなく、九州の戦地に赴き官軍・旧薩摩藩士族軍両軍の負傷兵救護に尽力しました。その博愛の精神は、今日の日本赤十字社に受け継がれています。

田能遺跡出土遺物.jpg

〔解 説〕

昭和40年(1965)、尼崎市北西部の田能(たの)の地の工業用水道工事現場で、田能遺跡が発見されました。弥生時代全期を通じて大規模な農業集落が営まれ、住居祉や銅剣鋳型、墓棺や人骨、装飾品である碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)や白銅製釧(くしろ)など、貴重な弥生時代の遺物が多数出土しています。

出土遺物は昭和45年に設けられた市立田能資料館に収められ、史跡公園とともに尼崎地域の古代史を学ぶ場として、児童・生徒を始め多くの人が訪れています。

貴布禰神社.jpg

〔解 説〕

西本町貴布禰(きふね)神社の発祥は、現長洲中通に位置する長洲貴布禰神社と伝えられます。中世尼崎町の発展により、同社から分祀されたと考えられ、その故地は庄下川(しょうげがわ)東岸、近世尼崎城の西三の丸にあたっていました。築城とともに城下の西側に移され、正徳5年(1715)には城下西端の宮町(現在地)に移転しました。旧尼崎城下の総氏神として、歴代尼崎藩主の崇敬も厚かったといいます。

同社の夏祭りは辰巳太鼓と八町のだんじりが繰り出し、暴れ太鼓の宮入りと、勇壮なだんじりの山合わせで知られています。

境内には、いずれも尼崎藩松平家ゆかりの白波稲荷神社と愛敬三社(あいけいさんしゃ)をはじめ、境内社7社が合祀されています。

大塚醤油引札.jpg

〔解 説〕

大物(だいもつ)町の老舗醤油醸造元、大塚茂十郎本店が得意先に配った、明治期頃の引札(ひきふだ)です尼崎市立歴史博物館あまがさきアーカイブズ所蔵)

近世後期から昭和戦前期、旧尼崎城下では、広く海外にまで流通する芳醇な生揚(きあげ)醤油の醸造が盛んでした。特に大物町が生産の中心地で、大物川沿いには醤油蔵が軒を連ねていました。

一時期生産が途絶えていた生揚醤油ですが、尼の生揚醤油保存会の手で「尼の生醤油」として復活され、尼新実業(株)で販売されています。

尼崎の歴史と文化財
阪神地域オープンミュージアム

お問い合わせ

尼崎文化協会 事務局 田中正喜

入会ご希望の方は、お問い合わせください。

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